11月4日朝、目覚めると三十歳になっていた。三十路ヴァージンだったオレは、幾許かの不安を胸にバスルームへと向かった。服を脱ぎ捨て鏡の前に立つと、俺はつぶさに自分の身体をチェックする。どこにも劇的な変化は見られないようだ。溜め息。安心してシャワーのコックを捻る。冷水が熱い湯に変わるまで、十分な時間をとって待つ。視界が霞む。寝起きだからか? それとも十分に疲れが取れていないせいなのか? まるでくもったガラス越しに物を見ているようだ。これが三十歳相応ということなのかもしれない。外見に変化はなくても、衰えは既にオレの内側で進行を始めていたのかもしれない。ふつふつと滓のようにわだかまる不安を洗い流してしまおうと、オレは勢いをつけて頭からシャワーを浴びた。メガネをつけたままで。
思えば、三十になればオレも真っ当になっているだろうだなどと、何故無責任にあの頃のオレは思っていたのだろうか。そうやって現在の責任を未来の自分に押し付けて、これからも生きて行くのだろうか。いつか、などと、無責任に思っているだけではいけないのだ。だからオレは今ここで断言する。真人間になる! 四十歳までには。